ゆきしめ成長記

育児・家づくり・いろいろなことを漫画や文章や写真で綴るブログです。

大切な母を亡くして。励まされた10のこと

2021年3月3日は、母が亡くなってから、4回目のひな祭りでした!

 

移ろう季節の中に母がいない。

こんなに寂しいものかと絶望した1年目。

 

嬉しい時にも、悲しい時にも、ふとした日常にも、やっぱり母がいないことを実感し、ただただ寂しかった2年目。

 

母が遺してくれたたくさんのことに、改めて気づけるようになった3年目。

 

少しずつ、前を向けているかな?と時々思える4年目の今です!

お陰様で、元気に過ごしています。

 

でも、まだまだ癒えませんね。

寂しいです。

きっと一生寂しいと思います。

それでいいのだと思います。

 

母はひな祭りに思い入れのある人でした。

ひな祭りは、母を特別近くに感じられる日です。

そんな今日に、母が亡くなってから励まされた10のことを綴りたいと思います。

 

この記事が、近くに大切な人を亡くして落ち込んでいる人がいる方や、悲しみに暮れている方、何かを遺そうと考えられている人の支えに、少しでもなれればと思います!

 

 

大切な母を亡くしてから。励まされた10のこと

いつかブログに書いて遺したいと思っていたことです。

皆さんに、本当にありがとうと思います。

 

 

1.夫がいつでも話を聞いてくれた


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母が亡くなって間もなく、突然泣いてしまうことがありました。

そんな時でも、夫はそばで支えてくれました。

話を聞いてくれました。

ただ、ひたすら聞いてくれて、否定せずにいてくれたこと、どれだけ励まされたことか。

優しい夫に、母も、きっと、ありがとうと思ってくれていると思います。

 

 

2.救いと導きに出会った

SEKAINOOWARI通称セカオワ。


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2019年末に、セカオワにはまりました。

セカオワの音楽はファンタジーでサブカルなイメージでしたが、それはほんの一面で、いろいろ書きたいのですが、とにかく心に響きまくってしまい、沼にはまりました。

「死ぬこと」「生きること」をたくさんの音楽にしてくれています。

本当に素晴らしいです。

中でもSaoriさん作詞作曲の「周波数」は亡くなった人への思いが、前向きに描かれた楽曲です。

私は、宗教観が薄い人間なので、死後の世界はあればいいなと思うけれど、薄情なもので結局「死んだら無になる」くらいにしか考えていませんでした。

でも、それではやっぱり悲しすぎるし、割り切れない。

「周波数」は、そんな気持ちを歌にしてくれていて、聞いているうちに本当にいつか会えそうな気がして、会えると信じてもいいんだと思わせてくれました。

歌詞の内容はとても重い。でも、明るく疾走感のある曲調で、そのギャップも素晴らしいです。

うーん文章が長いですね。

はまったことを語ってしまうオタクあるあるですね。

この他にも、たくさん「死ぬこと・生きること」を描いた素晴らしい楽曲がありますが、「死の魔法」(作詞作曲深瀬慧)では、人が死んで消えていく気持ちが死んだ人目線で描かれています。寂しいけれど、虚しいけれど、抗えず、全面的に受け入れてスーッと静かに消えていく。

 

宗教観は薄いですが、セカオワにどっぷりはまり、やはり私には何かしらの救いと導きが必要だったのだと実感しました。

 

 

3.同じ悲しみを背負う人と話した

 

母を知る親類、友だち、同じようにお母さんを亡くされた方たちと話すことで、

とても励まれました。

母を知る人たちとは、母の思い出を話し、母を近くに感じました。

お母さんを亡くされた人たちには、お母さんの思い出を教えていただきました。

以前勤めていた会社の専務が、もう80歳近い方なのですが

「親を亡くすっていうのは、すっごく寂しいよなあ。わかるよ。私も今でもすごく寂しい」

と自信の気持ちを教えくれたこともありました。

近所のママ友は、中学生の時にお母さんを亡くされていました。

そのママ友の言葉です。

「私はお母さんの身体で作られた人間だから、私の中にはいつでもお母さんがいると思うんだ。

しめははちゃんの手ははお母さんに似てるって言ってたよね。この手は、しめ母ちゃんの手でもあるし、お母さんの手でもあるんだよ」

 

ああ、母の身体で作られた私ってなんて幸せ者なんだろう

とぽかぽか心が温かくなり、とても励まされました。

 

みんなで精一杯悲しんだり、思い出したりすると、気持ちが穏やかになることを感じました。

 

 

4.兄と仲良くなった

思春期の私は、「兄なんか、別にいなくてもいい。」

なんて思っていたし、それを口に出していたひどいやつでした。

親としたら、そんなことを言われたらすごく悲しいし、悩むと思います。

 

なんてことを言ってしまったのでしょう。

 

でも、兄は知ってか知らずか変わらず優しく接してくれていました。

最近の兄との会話はアニメと漫画の話ばかりですが、それでも楽しいし、嬉しいですし、兄との交流は、母が喜んでくれるようで、とても励まされます。


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5.母の友人たちとの交流

母は、自分の死後を思ってか、孫を自慢したいからか、単に一緒に会えば楽しいと思ったのか、真相は不明ですが、私と母の友人を繋げる活動を積極的に行ってくれていました。

 

母の友人は多く、年齢層も幅広いです。

皆さん穏やかで寛大で才能に溢れた素晴らしい人たちです。

 

毎年、命日が近くなったり、子どもたちの誕生日や節句などの節目には第二、第三、第四、第五の母のように気づかいの連絡をくださいます。

母が作りかけて亡くなってしまった遺志を継いで、吊るし雛を完成させてくださった方もいます。


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母の友人たちからは、この上ない優しさと、私にはもったいないくらいの愛を注いでいただき、とても励まされています。

 

 

6.日記が出てきた

母が亡くなってすぐ、母の日記を見つけました。

闘病の苦しみや記録、ちょっとした愚痴が書かれていましたが、大半は周囲への気遣いと、感謝の言葉でした。

 

意外と遺書を残してくれなかったので、母はどう思っていたのだろう?と悶々とする日々でしたが、日記には、そんな気持ちを軽くしてもらえました。

 

もしかしたら、読まれることを想定していたのかもしれませんね。

 

また、長男を妊娠している時には、母が私を妊娠中~1歳までの日記を見つけ(名づけ検討メモも)

長女が小学1年生になる頃、兄が1年生、私が年少児だったころの日記を見つけました。


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見つけたのは偶然だと思いますが、母からのアドバイスのようで、とても嬉しく、楽しく読ませてもらいました。

 

母も、かつては一人の若い母親で、たくさん悩んで、怒って、疲れて、笑って、楽しみながら子育てしていたんだなあ、と。

 

話が聞けたような気持ちになりましたし、私も、娘たちのために記録はしっかり残そうと思いました。

 

 

7.新しい趣味を見つけた

母の趣味は手芸でした。

手芸をやる人によくあることのようですが、遺された資材がとにかくハンパではない量でした。

 

母の友人に譲ったり、親類に譲ったり、私の友人に譲ったり、売ったりしたのですが、なかなかさばききれないので、私と娘たちも、もらうことにしました。

 

その資材を使うために、試しに娘たちの髪飾りを作ったのですが、それが楽しくて。


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遂には資材を買い足して、新しい趣味になりました。

 

手芸は苦手意識があり、「買えばいいじゃん」と思っていた人間でしたが、最近は別人のように「作ればいいじゃん!」と思ってしまう自分がいます。

 

娘たちも喜んでくれますし、とてもやりがいがあります。

 

生きていたら、たくさん聞きたいことがありますし、作品も見せ合いたかったです。

ユザワヤとか、100均めぐりとか、一緒に行きたかったですが、でも、きっと母が生きていたら私は手芸をしなかったと思います。

 

手芸が好きな新しい自分は、なんだか母のようで、嬉しくもあります。

 

 

8.日常に母を見つける

父が母が見つけそうなファンシーな小物やお菓子を買ってきたり、祖母が母のように穏やかで寛容になったり、母が好きそうなお菓子をスーパーで見つけたり、コロナ禍に母がいたら「いろんなマスク作って配っているだろうな…」と考えたり。

 

あつ森ブームや鬼滅ブームにはしっかり乗っかっていたでしょうし、和柄の布で鬼滅グッズを作りまくって、孫や孫の友だちに配りまくっていたでしょう。

 

今でも、日常に母を見つけることがたくさんあります。

その度

「どうしていないんだろう?」

「なぜ母が死ななきゃいけなかったのだろう?」

と考えて、寂しくなりますが、でも、

「母は今でもいろいろな所で生きているんだなあ」

と思えたりもします。

少なくとも、私が死ぬまでは母は生きているんだなあ。とも思えています。

 

 

9.子どもたちの存在

母の最期の時、私は子供たちの話をたくさんしました。

その度、母は絞り出すように

「かわいいよね」

と言ったり

「ぶふっ」

と吹き出したり。

苦しかったでしょうに。

 

母にとって、子どもたちは心の支えだったのだと実感しました。

「ババのこと、絶対に忘れさせないから」と約束もしました。

 

子供どもたちの存在は、私の心の支えです。

母と成長を共有できない悲しみはありますが、それでも、間違いなく支えられています。

 

特に、母の記憶を大切に忘れずにいてくれている長女。

次の世代まで、母の記憶が残ると思うと、尊い存在に思えます。

 

 

10.夢に出てきてくれた


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 亡くなった人の夢を見ることで、悲しみを抱える人は癒されることがあるようです。

たかが夢。と思うかもしれませんが、母が夢に出てくれると、新しい思い出を作れたようで、とても嬉しくなります。

 

どうせ夢だと思い、ふと寂しくなることもありますが、それでも、母が出てくる夢には、毎度とても励まされています。

 

 

朗らかだった人柄に救われている

母は、優しく、穏やかで朗らかな人でした。

しっかりもしていましたが、ふわ~っとしていました。

何より、私たちの幸せを喜んでくれる人でした。

 

そんな母ですから、たぶん、いつまでもめそめそしていたら悲しむと思います。

「泣いてもいいよ」

と言うでしょうが、言いながらすごく悲しむと思います。

母のために、悲しみすぎるのは止めようと思いました。

 

嬉しいことがあった時に、

「どうしてここにいないんだろう。伝えられないのだろう」

と苦しむこともありました。

でも、きっと嬉しい時に悲しんでいたら、母はきっと悲しむので、できるだけ素直に、明るく楽しもうと思えるようになりました。

 

私にとって間違いなく大きな存在だった母ですが、必要以上に悲しまずにいられるのは、母の人柄のお陰です。

母には、本当にありがとうと思います。

 

私もいつかこの世を去りますが、遺る人たちには、必要以上の悲しみを与えることがないように、母のように、優しく、穏やかに、朗らかに過ごしたいと思います。

 

 

母を亡くしてから、励まされた10のこと、母の人柄についてお伝えしました。

 

ひな祭りに~なんて書きましたが、ひな祭りを過ぎてしまいました!

もう寝ないと!笑

長文になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

皆さんもどうか心穏やかな日々を過ごせますように。